EF62後期型下関所 KATO鉄道模型4月発売製品レビュー – 掌の上の国鉄時代 第3回

こんにちは、よーぶんです。

今日は鉄道模型、Nゲージのお話です。
前回御紹介した8620形東北型と一緒に購入したのが、
今回御紹介するEF62形後期型下関運転所仕様です。
EF62後期下関所こちらは4月に発売されていたのですがズルズルと購入が遅れ、
先日ようやく購入した次第です。

さてEF62形は66.7‰という急勾配の碓氷峠を擁する信越本線を、
全線走破するために昭和37(1962)年に試作車1両が開発製造され、
それを基に翌昭和38(1963)年から53両が量産された直流電気機関車です。
実車は国鉄分割民営化後も数両がJR東日本に引き継がれていましたが、
平成9(1997)年の長野新幹線開業による信越線碓氷峠区間廃止に伴い、
ほぼ本来の用途を失った後は上越線等で波動輸送に用いられたものの、
最後の1両が平成11(1999)年に廃車、引退しています。
現在は試作1号機と最後まで活躍した54号機が、
群馬県安中市の碓氷峠鉄道文化むらにて静態保存されています。

さて今回購入したモデルはこの機関車にとって縁も所縁もないはずの、
遠く山口県の下関運転所に配備されていた量産後期型がプロトタイプです。
実は国鉄末期に吹き荒れていた合理化の嵐、
その一環としてこの機関車の本来の任務でもあった、
信越線の貨物列車、特に碓氷峠を通過する貨物列車が全廃されたのです。
この当時の碓氷峠は横川-軽井沢間、すなわち碓氷峠区間において、
その急勾配を制するためにすべての通過列車にEF63形機関車を、
補機として連結して通過していました。
貨物列車や客車列車の場合、このEF62形機関車が牽引してくるのですが、
そこにさらにEF63形機関車が補機として連結されるのです。
これはやはり手間ですし時間も掛かるということで、
首都圏から長野方面への貨物列車はやや距離が長いものの、
中央線回りに変更することで碓氷峠越えの貨物列車を廃止したのです。
これによってこのEF62形機関車は大量に余剰が発生しました。

そしてちょうどその頃、東海道山陽線の小荷物郵便列車用として、
最後の活躍をしていた名機EF58形の老朽化が深刻になってきたこともあり、
赤字も赤字、火の車の財政難に陥っていた国鉄はそのEF58形の後継として、
あろうことか大量余剰が発生していたこのEF62形を投入したのです!
何故”あろうこと”かと表現したかというと、
EF58形は大変高速巡航性能に優れた機関車です。
ところがEF62形はその設計仕様により登坂性能に優れているものの、
その一方で高速性能をある程度犠牲にした機関車でした。
東海道山陽線の小荷物郵便列車はその運んでいる荷物故に、
貨物列車以上の高速運転が強いられます。
そんな列車に力は強いが脚は早くないEF62形が投入されたのですから、
“あろうこと”かと表現したわけです(笑)

よーぶん氏は下関の対岸、北九州の出身です。
幼い頃は下関と門司に行けば青い機関車や赤い機関車、
そして銀ピカの機関車まで見られるのでよく関門地区には出掛けました。
ある日、それまで当たり前に見かけたEF58形の姿がすっかり失せ、
見慣れない機関車が下関にいるのに気付いた日は忘れません。
よぉーく目を凝らして見ると”EF62″と書かれてるじゃないですか。
図鑑でしか見たことがなかった機関車を目の前にして、
“君はどーしてここにいるの?”と喋らない相手に聞いたのを覚えています。

その喋らない相手、その機関車が今回模型化されたわけです。
本来の働き場所だった信越線仕様と大きく異なるのは、
小荷物郵便列車には列車暖房が必要であるのですが、
このEF62形も電気暖房を供給できる仕様になっているのですが、
作業の都合上、電気暖房ジャンパ連結器が本来の仕様では支障が有る為、
そのジャンパ連結器の移設等の小改造が施されたのです。
これ案外細かい違いなんですが、正面の印象をかなり変えてしまうものでした。
そしてこの仕様は模型においてもしっかり表現されています。
EF62後期下関所2ジャンパ連結器はユーザー取付部品となっていますが、
これを取り付けると、いい感じ。

そしてEF62形といえば最大の特徴が3軸台車ですね。
EF62後期下関所3この表現も重厚感があって、さすがKATOといったところでしょうか。

ところでこのEF62形の下関配置仕様は以前にもマイクロエースから模型化されたことがありました。
マイクロエースから製品化されたものは量産前期型。
テールライト形状やエアフィルター形状、そして避雷器の位置に違いがみられます。
EF62後期下関所4並べてみると違いがわかりますね。

EF62形の東海道山陽筋での小荷物郵便列車牽引仕業はわずか2年余りで幕を閉じます。
理由は国鉄の合理化という名のメスが小荷物郵便輸送そのものに入ったためです。
昭和61(1986)年11月ダイヤ改正で国鉄は小荷物郵便輸送を廃止、再度余剰となった下関配置車は全車廃車されてしまったのです。
そして国鉄は分割民営化に雪崩を打って向かっていったのです。

幼き頃のよーぶん氏にとって本来出会うはずもなかった山男EF62形。
彼らは歴史に翻弄されて東海道/山陽本線という国鉄にとって永遠の花道に立つことになりました。
それが不本意だったかどうかは知る由もありませんが、わずか2年余りの姿が模型化されたことに、
大きな感慨を覚えたよーぶん氏でした。

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